今更シリーズ 旅の思い出2013冬
ここ毎年、12月に秋田県の某温泉で開催されている温泉合宿に参加している。
何をする合宿かというと、温泉に浸かったり、ビールを飲んだり、鍋を食べたり、日本酒を呑んだり、まあそういう楽しいことをする合宿である。メンバーは私達夫婦以外は皆秋田県人の秋田チームだ。
以前はその合宿だけのための旅行だったが、前年2012年はその前に寄り道して盛岡に1泊した。日中は夫婦別行動でそれぞれ観光したのだった。
2012年 盛岡城跡公園
2013年の寄り道は仙台に決定。私には初の仙台である。
出発前夜、飲み会に出かけた夫。翌朝は早いし旅は酒呑み旅行だし、のみすぎないでねと送り出した。夫は、10時くらいには帰るよ、なんて言っていたのに帰宅したのは0時をまわっていた。
椅子に座ってうたた寝した後、手がしびれたと言いながらお風呂に入り、そのお風呂でも寝ていたので2回も起こし、やれやれだった。
1日目。
9時の新幹線で仙台へ。
しかし。
右手のしびれがとれない、と不穏な発言をする夫。前夜からそんな事を言ってたよね。まさか脳梗塞とか?口調はしっかりしているし、手のしびれ以外は身体に違和感はないようだが、慎重に観察して何かあったらすぐに旅を中断しなければ、と覚悟した。
11時過ぎに仙台着。コインロッカーに荷物を入れようと、空いているロッカーを探し回るけれど見つからない。広島の悪夢再びか?(前年、広島に行った時、駅でコインロッカー難民になりかけた。なんとか見つけたけれど。多分あれが最後の一つだったと思う。)と、駅構内をウロウロ。やっと駅の外側に、穴場のように空きだらけのロッカーを見つけて荷物を押し込んだ。
とりあえず昼食をとろうと街に出た。やはり首都圏よりちょっと寒い。雨がぽつぽつ降ったりやんだり。夫が傘を持ってくるのを忘れたので商店街で買った。1,050円の折り畳み傘。
トンカツとか、がっつりしたものを食べたい私だったが、夫は温かい蕎麦を食べたいと言う。じゃあ、蕎麦屋にしましょうと、更科蕎麦の店に入った。
ほとんど迷いなくカツ丼を選んだら、夫も同調してカツ丼を注文。あれ、軽いものがよかったんじゃなかったの?でも珍しくビールは飲まなかった。あえてツッコまなかった。彼なりに自重しているのだろう。カツ丼がくるまで、駅の観光案内でもらってきたパンフレットを見て午後行く所を決めた。
考えてみたら、私の人生でカツ丼を頼んだのは初めてだ。蕎麦屋さんで丼ものを食べる時はいつも天丼なのだ。カツ丼についてきたミニかけ蕎麦が、優しい味でとても美味しかった。
鍋焼きうどんを食べているお客さんが何人もいた。人気メニューかしら。街のフツーの蕎麦屋さんがきちんと美味しいとうれしい。
午後は仙台市歴史民俗資料館へ行くことにした。仙石線に乗り榴ヶ岡で降りてすぐの榴岡公園内にある。『榴』って『つつじ』と読むのか。
資料館の建物は宮城県内に現存する最古の洋風木造建築だそうだ。旧日本軍の歩兵第四連隊兵舎だったそうで、館内には旧軍関係の資料も多数。
そういえばこの日は12月8日だった。太平洋戦争開戦の日だ。
吉田戦車っぽいし、かわいらしい絵なんだけどねえ。
同情週間なんてあったのか。
その他に農具、生活道具なども色々展示してあった。下駄がやけに多くて、しかも種類が多彩。こんなスマートなものもあった。ハイヒール感覚だったのかな。かなり細めでお洒落な感じ。鼻緒も素敵。
撮るの失敗してしまった。
どの下駄にも『仙台市の下駄職人・猪股久三が製作した。』という札がついていた。
手作りおもちゃコーナーは実際に遊べるものがいっぱいあって楽しい。
見どころ満載で3時間近く過ごしてしまった。
帰る前、一階ロビーに置いてあった写真集に気づいた。震災の時、一般の人達が撮った仙台市内の写真を本にしたものだった。私達が昼に歩いた商店街の写真もあった。混乱の中でそれぞれ懸命になすべき事をしている人達が写っていたり。大変だけど、皆さん頑張って生きている。
入館料200円で充実した午後を過ごせた。
仙台駅にもどり、ロッカーから荷物を出してホテルに向かった。
チェックインして部屋に着いてから夫が
「チェックインで宿帳に名前と住所を書く時、手が痺れててなかなか字が書けなかった。」
なんて言う。私に書いてもらおうかと思ったけど心配させちゃうと思ったそうだ。でも結局言う事になるんだからちゃんとその時に言ってほしい。
その時点でも右手に痺れがあるだけだったので、心配だなあと思いながら夜の街に繰り出した。
日曜日という事もあって、夫の好きな居酒屋 一心はお休み。適当なところに入ろう、と繁華街を歩く。適当、といっても仙台だし、宮城県の美味しいお酒が呑めるお店がいいね、と歩きまわった。
ついでに、ちょうど定禅寺通で『光のページェント』というライトアップイベントをやっていたので見に行った。ざっと見ただけで、あとは呑んでからじっくり見よう、と再び店探し。
結局、探し始めのころ候補にあげておいた居酒屋におちついた。
コの字型カウンター席に案内されて、まずエビス樽生で乾杯。
向かいの席に3歳位の女の子とその両親が食事していた。女の子と目があったのでニッコリすると、その子もニッコリ。御両親に気付かれないように何度も微笑み合戦を繰り広げた。可愛かったなあ。後でぐずってたけど。
日本酒は、綿屋 純米原酒を夫はもっきり、私はグラスで。
つまみは、いかごろ炒め、もつ焼き6種盛り(タレで)、三角揚げあぶり、ポテトサラダ、カッパ巻き、おでん盛り(大根、はんぺん、卵、糸こんにゃく)を。
お店に入った時、入口にお酒の冷蔵庫があったので「ちょっくら見てくる。」と偵察に行った。冷蔵庫をのぞきこんでたら若い女性店員さんが来たので、いくつかのお酒の説明をしてもらい、席にもどって夫に伝え、注文したのが 小僧山水 純米。
説明してくれた店員さんの顔が、芸人の小藪千豊に似ていたので、私達はこっそり小藪ちゃんと命名してしまった。ごめんね。笑顔がかわいい小藪ちゃんだった。
綿屋を2杯、小僧山水1杯という、いつもと比べればかなりお酒の量を控えた夫と、綿屋1杯のあとは夫のをちょこっともらった程度の私は、お店を後にした。光のページェントを見に行かねば。
幻想的。
この木。金色の光の中ひとつだけピンクの光があるというので探してみたり。
見つけたけど、写真にうまく写らなかった・・・・
季節柄、こんな方も。ソリではなく車に乗っている。
キリン直営の臨時バーに心惹かれたり(エビスのバーもあった)しながらも、歩き続けた。
光のページェントを堪能した後はコンビニで、朝食と、やっぱり飲み足りなかった夫がビールとつまみ、私の風呂上り用にグレープフルーツジュースを購入してホテルにもどった。
夫の右手の痺れは本人の分析によると、「前夜、変な体勢でうたた寝してしまったようで、その時に筋を痛めた影響であろう」だそうである。確かに、痺れだけでなく特定の角度に曲げると「イテテテ」状態になっていた。それならいいけど。(いいのか?)
念のため観察は続けようと思いながら、就寝。
2日目。
駅の売店で笹かまを買って家に送る手続きをしてから、新幹線に乗った。初めてのスーパーこまち。座席に枕?が付いていて乗り心地が良い。昼頃、目的の駅に着いた。
駅にSケンがやってきた。地元民でチームメンバーでもある彼は前年不参加。今回も無理っぽいと聞いていたので、いきなり現れてびっくりした。翌日夕方までは参加できるそうだ。
待ち合わせ場所で主催者のY嬢と落ち合い、昼食場所の蕎麦屋さんで秋田市から参加のエミちゃんも合流。一年ぶりの再会を喜び合った。翌日の夜からは同じく秋田市からヨウコさんも参加予定。
地どりせいろそば。
おしゃべりしていたら、店長のアブラミ・アリ氏(もちろん仮名)がやってきてデザートをサービスしてくれた。。デザートとは、小鉢に入った冷やしたぬき蕎麦だ!
ミニ冷やしたぬきは美味しかった。苦しかったけど。
スーパーで買い出し。山奥で籠城するので大量の食糧とビールが必要なのだ。
宿に行くのは夕方なので、蜂蜜屋さんの喫茶コーナーでのんびりお茶したり。
頃合いをみて、宿に出発。下界に雪はなかったが、宿に近づくにつれて白い世界に変わっていった。
温泉→ビール→宴会 が毎年の流れである。
宴会初日は毎年、宿の名物鍋をいただく。お酒も進み、皆のお腹も落ち着いてきた頃にアブラミ・アリ氏があらわれた。差し入れ持参で。
かなりの量。さすが脂身がたっぷり有る男が作っただけある。しかも美味しい。置かれた場所が私の真ん前だったのでいっぱい食べちゃったじゃないか。辛旨いよう。
彼には、ふなっしーのクッキーを進呈した。奥様やお子さん達が喜んでくれるだろうか。
私は0時過ぎに就寝。
3日目。
雨がふっていた。日中はそれぞれ過ごし、お昼はSケンが自宅で作ってナベごと持ってきてくれたカレーを食べた。
口に入れた時は甘く感じるのだが、食べ進んでいくうちにだんだん辛くなってきた。美味しい。作った本人は二日酔いで食べなかったみたいだけど。
日中、アブラミ・アリ氏の夫人、K美さんが末っ子のSちゃんを連れて登場。赤いツナギに長靴でぽてぽて歩くSちゃん、可愛かった。
夕方、Sケンが仕事のため退場。
お風呂タイム。雨なので露天ではなく内湯に入った。エミちゃんも後から来たので中島みゆきの話などしながらのんびり浸かった。Y嬢は別の内湯に入っていたようだ。(内湯は全部で3つある。)
前日たっぷりあったビールが、あと5本になっていた!これから来るヨウコさんに買ってきてもらおうとメールで要請。
宴会2日目は、やる気のある人がきりたんぽ(鍋)を作る事になっている。今回はエミちゃんが動き出してくれたので私が助手になり野菜切りなどしていたらヨウコさん登場。やきとり、カツサンド、缶ビール18本とともに。
もちろん、歓声とともに迎え入れられた。相変わらず気遣い上手な人である。
さらに、日本酒好きの彼女が1升瓶で持ってきた 角衛門 が大人気。宴会中「かくえもーん」とドラえもんを呼ぶような口調で遊びつつ、テーブルを角衛門が飛び交ったのだった。
左の2本は我が家持参の神亀と不動。今回の不動はあんまり・・・
その隣の2本はエミちゃん。真ん中のラベルなしの瓶は某貴重なお酒。詳しい事は忘れてしまったけれど(呑んでる時に聞いたおもしろい話ためになる話はたいてい忘れてしまう。興味深い裏話だった、としかか憶えてなかったりする)、何かの生き残り酒だというのは憶えている。晴田とともに秋田のお酒。
そして右が、この宴会の主役となった角衛門。美味しかった。
きりたんぽができた頃には皆のお腹も落ち着いていて、そんなにおかわりしなかったけれど、残ったものは翌日食べつくした。
0時過ぎに私は離脱。エミちゃんも後に続いたようだ。私は1時頃に寝たのだが、酔っぱらいどもの騒いでいる声で目が覚めた。2時半だった。呆れながら再び眠った。
最終日。
前日夜から雪に変わり、雨で溶けかけていた雪の上に積もっていい感じの温泉宿になっていた。
Y嬢は朝から死んでいたが、彼女にはお役目があるのでフラフラしながら起きてきた。日中はめいめいそれぞれのんびり過ごしていたが、「銀行に行きたい。」というヨウコさんが夕方になる前に帰って行った。
Y嬢のお母さんがY家の愛犬ユリを連れて登場。ユリは家族以外にはなかなか心を開いてくれない。犬種の性格もあるが、もともと飼われていた家で虐待?されていたらしいので警戒心が強いのだろう。大抵の動物に好かれる夫も手懐ける事ができない。むりやり抱っこされてがまんしていたユリだったが、最終的には「なにするのよ!」と怒って夫を威嚇していた。
夕方になり、今度はエミちゃんが帰っていった。残った私達は最後のお風呂タイム。名残惜しい時間である。
片づけをすませて、Y嬢の車で出発した。もうすでに真っ暗。そして雪が激しくて視界が悪い。慎重に運転するY嬢に命を預け、黒くて白い世界を進んでいった。下界に近づくにつれて雪は雨に変わり、雪景色は過去のものになっていた。
Sケン宅に寄り、洗ったけれどカレーのにおいがとれなかったル・クルーゼの鍋を返し、駅近くのいつもの居酒屋へ。Y嬢は家が近所なので一度帰宅し、徒歩でやってきた。別れの宴は3人でちょっとさみしい。
最後に注文したイカ焼きがなかなか出なくて(焼き物は時間がかかるかも、と書いてあったけど、客は私達だけだったからそんなに遅くならないだろうと思い込んだ私達のミス。)新幹線のぎりぎりの時間になってしまい、Y嬢にお金をわたして会計をたのみ、雨の中を駅に走った。すぐに息がきれて走れなくなったのは私だが。駅にたどりつき、駅員さんに急かされ、なんとか席に着いた時はヨロヨロだった。迷惑をかけたみなさんごめんなさい。 駅まで走る時、東北の 冷たい空気を口呼吸で吸い込んでしまったため、2日ほどヘンな咳が出た私達だった。
今年もまた行けるといいな。